ボードゥアン6世(ボードゥアン・ド・モンス、フランス語:Baudouin VI、1030年頃 - 1070年7月17日)は、エノー伯(ボードゥアン1世、在位:1051年 - 1070年)、およびフランドル伯(6世、在位:1067年 - 1070年)。父ボードゥアン5世の政治的長命に伴い、自身が伯に就任する以前から伯領内の政治・軍事に深く関与していた。
生涯
フランドル伯ボードゥアン5世とフランス王ロベール2世の娘アデルの間に長男として生まれた。
父ボードゥアン5世は、エノー伯エルマンの未亡人でエノー伯領の相続人であったリシルドとボードゥアン6世とを結婚させた。エノーは神聖ローマ帝国領であり、この結婚は皇帝ハインリヒ3世を激怒させ、ハインリヒ3世はボードゥアン父子に戦いを挑んだが敗北した。1050年から1054年にかけて、ランス伯ランベール2世はボードゥアン側に立ってハインリヒ3世と戦った。ボードゥアンは1070年7月17日に死去し、フランドルおよびエノーは息子アルヌール3世が継承することとなり、リシルドが摂政となった。しかしアルヌール3世は翌1071年にカッセルの戦いで戦死し、アルヌルフ3世の弟ボードゥアンがエノー伯位を継承した(ボードゥアン2世)。フランドル伯位はボードゥアン6世の弟ロベールに奪われた(ロベール1世)。
ボードゥアンはアスノンにサン=ピエール教会を建設し、自らの墓所とした。
子女
ボードゥアンとエノー女伯リシルドとの間に以下の子女をもうけた。
- アルヌール3世(1055年頃 - 1071年) - フランドル伯、エノー伯
- ボードゥアン2世(1056年頃 - 1098年) - エノー伯
脚注



](https://www.suruga-ya.jp/database/pics_light/game/770041019.jpg)