長井 松太郎(ながい まつたろう、1850年(嘉永3年7月)- 1892年(明治25年)8月10日)は、明治前期の政治家。衆議院議員、広島県会議長。
経歴
備後国御調郡、のちの広島県御調郡貢村(糸崎町を経て現三原市)で生れた。漢学、武術を修めた。
東野村里正、木原村里正、御調郡書記、広島県会議員、同常置委員、同副議長、同議長を務めた。日本赤十字社常議員にも在任した。
1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(広島県第7区、無所属)では次点で落選したが、1892年(明治25年)2月の第2回総選挙(広島県第7区、 中央交渉会)では当選した。しかし、1期目在任中の同年8月に肺病により死去した。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。




