安芸 晋(あき すすむ、旧字体:安藝 晉、1873年〈明治6年〉3月18日 - 1947年〈昭和22年〉12月15日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。
経歴
徳島県名東郡徳島出来島町(現徳島市)の水野静宜の二男として生まれる。1878年(明治11年)、先代の安芸弘栄の養子となり、1910年(明治43年)に家督を相続する。1896年(明治29年)、陸軍士官学校第7期卒業。のち1902年(明治35年)11月に陸軍大学校第16期卒業。
参謀本部部員、関東都督府陸軍参謀、歩兵第14連隊附、同大隊長、第17師団参謀、歩兵第66連隊附、朝鮮駐箚軍参謀。1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐・京都連隊区司令官。1918年(大正7年)7月に歩兵第38連隊長、同年12月に第1師団参謀長を経て、1921年(大正10年)2月に陸軍少将・歩兵第22旅団長(第11師団)に任官。シベリア出兵では旅団長としてザバイカル付近の警備に当たった。
その後は、1923年(大正12年)8月に第14師団司令部附を経て、1926年(大正15年)3月2日に陸軍中将に昇進と同時に待命、同月22日に予備役に編入した。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072916。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 鳴門市史編纂委員会『鳴門市史 本編』鳴門市、1982年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9575110。




