高梨 澄頼(たかなし すみより)は、戦国時代の武士。
略歴
延徳4年(1492年)、高梨氏の全盛期を築いた高梨政盛の子として誕生。元服の際には、家の慣例によって11代将軍・足利義澄より偏諱を受けて澄頼と名乗る。その後の永正10年(1513年)、父・政盛の死去に伴い家督を継いだ。
高梨氏は隣国の越後国守護代を務める長尾氏と古くから縁戚関係があったが、政盛の死後まもなく長尾為景と守護・上杉定実との対立が激化する。近隣の信濃島津氏の島津貞忠や井上氏・須田氏などが上杉方に与する中、澄頼は長尾方に味方したため孤立し、さらに善光寺平を北上しつつあった信濃村上氏の圧迫を受け、その勢力は減退した。
上杉定実を抑えた長尾為景の援助の下、高梨氏が勢力を回復するのは大永4年(1524年)のことであり、そのときの高梨氏の当主は澄頼の子・政頼となっている。
脚注
出典
- 田中豊茂「信濃中世武家伝」信濃毎日新聞社 2016年
関連項目
- 長野県 中野市
- 高梨氏館(国の史跡) - 別名・中野城。父・政盛が建て始め、子・政頼の代に完成した高梨氏の居館。
- 鴨ヶ嶽城 - 政盛が築城、高梨氏の詰めの城。
- 黒姫伝説 - 地元に伝わる伝承。




