マリア・デ・ラ・セルダ(スペイン語:María de La Cerda y de Lara, フランス語:Marie de la Cerda y de Lara, 1319年 - 1375年3月13日)は、フェルナンド2世・デ・ラ・セルダとその妃フアナ・ヌニェス・デ・ララの間の末娘。カスティーリャ王国ブルゴーニュ朝の一族である。2番目の結婚によりアランソン伯妃となった。

生涯

マリアはフェルナンド2世・デ・ラ・セルダとその妃フアナ・ヌニェス・デ・ララの間の末娘である。マリアが3歳のとき父フェルナンド2世が死去し、その29年後の1351年に母フアナも死去した。

1335年4月にポワシーでエタンプ伯シャルルと結婚した。たった1年の結婚生活であったが、双子の男子をもうけた。1336年9月5日、マリアが17歳のときに夫シャルルは死去した。

最初の夫の死から3ヶ月後に、マリアはアランソン伯シャルル2世と再婚した。この結婚は双方とも再婚であり、シャルル2世は前年に最初の妃ジャンヌ・ド・ジョワニーと死別していた。結婚の9年後、シャルル2世はクレシーの戦いで戦死した。

マリアは1375年3月13日にパリで死去し、パリにあったサン=ジャック通りのジャコバン修道院(現在は破壊されている)の2番目の夫の隣に埋葬された。2人の彫像は現在はサン=ドニ大聖堂に置かれている。

子女

エタンプ伯シャルルとの間に双子の男子をもうけた。

  • ルイ(1336年 - 1400年) - エタンプ伯、ウー伯ラウール1世の娘ジャンヌ(1389年没)と結婚
  • ジャン(1336年 - 1373年以降、ローマ)

アランソン伯シャルル2世との間に以下の子女をもうけた。

  • シャルル3世(1337年 - 1375年) - アランソン伯(1346年 - 1361年)、のちリヨン大司教(1365年 - 1375年)
  • フィリップ(1338年 - 1397年) - ボーヴェ司教、ルーアン大司教(1359年 - 1375年)、枢機卿
  • ピエール2世(1340年 - 1404年) - アランソン伯(1361年 - 1404年)
  • イザベル(1342年 - 1379年9月3日、ポワシー) - 修道女
  • ロベール(1344年 - 1377年) - ペルシュ伯(1346年 - 1377年)

脚注

参考文献

  • Doubleday, Simon R. (2001). The Lara Family: Crown and Nobility in Medieval Spain. Harvard University Press 

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