徳川 幹子(とくがわ もとこ、1902年(明治35年)12月8日 - 1996年(平成8年)9月17日)は、日本の社会運動家。一橋徳川家12代当主・徳川宗敬の妻。
父は貴族院議員で鳥取池田家当主の池田仲博。女子学習院卒業。鳥取県出身。
生涯
貴族院議員で鳥取池田家当主の池田仲博と妻の亨子の長女として生まれる。
女子学習院(現在の学習院女子大学)では香淳皇后のご学友で、1920年(大正9年)の卒業と同時に一橋徳川家当主の徳川宗敬と結婚し、1男2女(宗信・美代子・伊津子)を儲ける。
1926年(大正15年)5月にはドイツに留学する夫の宗敬と共に約2年半に及ぶ欧米巡遊に旅立った。
1946年(昭和21年)6月に茨城県水戸市郊外の薪炭林に入植し、1955年(昭和30年)には全日本開拓者連盟婦人部の初代部長となって全国の開拓地を回った。
またスコットランドで開かれた世界農村婦人協議会に出席し、1979年(昭和54年)に茨城県婦人会館を設立、初代理事長に就任。
1996年(平成8年)、死去。享年93。
受賞
- 勲五等宝冠章
- 茨城賞
著書
- 『わたしは開拓地の主婦 開拓15周年記念体験記』(1961年、明るい生活)
- 『わたしはロビンソン・クルーソー』(1984年、茨城新聞社)
- 『林と生きる 徳川宗敬の肖像』(1990年、毎日新聞社)
- 『絹の日土の日 ハイカラ姬一代記』(1994年、PHP研究所)
脚注




